ゆかりちゃんマンハウス

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新品のノートの1ページ目は綺麗に書いてしまうように-2024年1月1日日記-

 ここ数年、もう「年をまたぐ」ということのめでたさや新鮮みみたいなのを感じなくなりつつある。とはいえ、区切りとしてはこれほど使い勝手のいいタイミングはないもので、「今年は毎日ブログに投稿できるかも」と安易に思っている。「思っている。」と今ここに打ち込んでいるその瞬間にもこの感情は空気に触れており、腐敗する未来を同時に選択している。サンボマスター聴いて感動した翌日の朝もとりあえずオナニーはする。「その程度のもんかもな」という予見と、とはいえ「思っている。」ということも紛れもなく現実であること。

 

 当ブログの去年の投稿数は「70」だった。相変わらず見ている人は増えていないが、何もやってなければこの数字が「0」だった未来があったのかと思うと、なんだか感慨深い気持ちにすらなる。有象無象がなにをやっても仕方ないという気持ちはありながらもパタリと途中で辞めなかったということに驚きさえ、ある。いや、PV数は気にしているから。PV数「しか」だわ。

4月5月の投稿がかなり多かったのは、「留年」ボーナスだったことは間違いがない。本当(マジ)の本当(マジ)で、心が最下層に堕ちていった感覚がある。これは留年しなければ分からない感情なのかもしれない。負の感情がハチャメチャに渦巻いていたので書くことも山ほどあった。視界に入るものは全部「敵」に見えるという現象が起きるからである。これは恐ろしくもあるが、生まれてこの方味わったことのないエネルギーだったのでたまに都合よく取り出して、活用できたらいいのにと思う。

 

 そう書くのは、もうあの頃の怒りを取り出せないということである。あの時はクリリンを殺されたから毎日湧いてくる怒りをぶつけていたが、「怒りの持続力のなさ」について身をもって体感した形になった。春休み明けの留年1日目、冗談や誇張ではなく「最悪こいつらを全員殺せば大丈夫やわ」と思いながら授業を受けていた。そんなこともう無理である。その後の月の投稿数を見るとよくわかる。途中、どこかのタイミングで周囲にイライラするのが疲れたのを覚えている。あと単純にひとりで通学してひとりで授業受けて、ひとりで夕方に河川敷で弁当食うことしかしなかったから目新しい刺激がなくなり、書くことが無くなったというのも大きい。でも話し相手がいたらそれはそれで、日記をつけることをしなくなっていたと思う。

 

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余談

 昨日の大晦日に、めちゃくちゃ酒の入った親から「育て方を間違えた」と言われたのが時間を経てすごいなと思ってきた。一瞬ぼくって野菜だったっけと思っちゃった。もうすごいなとしか。史上最悪の年の瀬だろ。もはやショックとかではないが、こんなタイミングで言われるとは予想もしていなかった。そんなことを10時手前で言われたもんで、リビングで一家団欒してる中にいられなくなり、絶対に見ようと思っていたおもしろ荘もカウントダウンTVも見ることなく部屋で過ごすことになった。

 

あと、これを「親に言わせた」というトロフィーを獲得した音は確実に右上で鳴っていたと思う。

 

 既にすごい一年になりそうで、もう興奮が止まらない。