ゆかりちゃんマンハウス

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10代の頃の、答え合わせの時間です。2023/08/02日記

2023/08/02

 

 もう8月。「日」のほうのカウンターが1ケタにリセットされても今年は全くスッキリしない。今日まで授業があったので、ここからとりあえず夏休みが始まるということになる。7月中旬に提出するべき課題を、今の今まで引き延ばしていたら、教授から心配の催促メールが来ていた。今日までならギリギリ成績に反映できるので出してください、という内容である。謝罪のメールと一緒にすぐに提出した。すぐといっても、3時間ぐらいかかった。1時間あれば終わると高を括って放置してきたのだが、現実は完成まで3倍の時間を要した。

 

 留年生という身、今年ダメなら終わりである、ここまで追い詰められているにも関わらずこれである。今回は厚意によって首の皮が繋がったというだけである。自分のことがほんとうに嫌になる。こんなにどうしようも頑張れない人間だったのか?最初から?いや、そんなことはない。と思う。いつからだよ。逃げてはいけないということ、分かっている。今年の状況を一番分かっているはずなのに、ここまできても焦りだとか、尻に火がついているだとか、そういう恐怖でさえ自分をコントロールできていない。どこかのタイミングで、最後の最後まで、嫌なものを嫌なもののまま逃げ切ることを覚えたのはほんとうによくなかった。しかも、全く逃げ切れていないぞそれ。

 高校生の頃の陸上の授業で、自分はゴールまで走ってから減速したつもりが、最後まで走りきらなかったふうに見えたらしくメチャクチャ怒られたことを思い出す。あのときも実際、主観ではなく客観が正しかった、そうなのかもしれない。でも実際問題、手を抜いても怒られてなかったヤンキーもいたので、この世界は汚い。

 

 授業では小さい講義室に30人ぐらいで受けた。高校までの教室そっくりの状況で、他の人は当然ながら同級生と受けているので休憩時間も会話が飛び交っていた。私は教室の真ん中に不自然に空いていた席を埋める形で受講していたので離席しようにも目につくし、そもそも教室を出ても行く場所がないので寝るふりとスマホを見ることしかできなかった。本当に高校の頃を思い出して、ほんとうに嫌になった。

 

 授業中。夏なので、女の大学生がサンダルを履いている。そのサンダルを机の下で脱いで、膝の上に足を上げている。視界の端に足裏が見える。...…ここってエロい場所でしたっけ?という気分になる。お金払ってから入室してないけど大丈夫なのかな。それも込みで、自分のことが嫌になる。今学期は本当の本当に異性との関わりが1mmもなかったので、その全てがエロに直結してしまうようになった。もとよりないが、耐性が人生の中で最も無くなっている時期が今である。なのであまり肌を露出させないでほしい。というか大前提、私みたいな奴の隣に女性が座っていていいのか。内心、嫌で仕方ないという気分で座っているかもしれない。今日はなんだか全員が、自分よりも大きく見える。女性が怖くて仕方がない。もし私が女だったとして、こんな脳内の人間の隣になど座りたくないからである。

 

 授業が終わると皆、友人と話しながら帰っていく。私の後方で授業を受けていた、「全人類のイメージするアキバのオタク」の具現みたいな奴にさえ、友人がおり、談笑しながら廊下の奥へ消えていった。女たちは当然、女たちのコミュニティを構築しているし、運動部の人はそのコミュニティがある。ここまで目の当たりにされると、留年している事実を抜きにしても、なんで私は1人なのだろうかという気持ちにならざるを得ない。それは、他者に哀れな目で見られているような感覚を生じさせる。だから、今日はバスで帰るつもりだったが、大学生が行列をつくっている中には死んでも入れないと思い、徒歩で帰った。

 

 陰にも陽にも、根暗にも根明にも、どちらにも、いずれにも属せない、この世を、人間を偏見の目で見ているからだと思う。それは見下すつもりで見下しているのではなくて、自分を知られたくない・自分が怪我したくないという防御反応でそう思っている部分も、あるのかもしれない。知られたくないのに、友達は欲しいというのはなんとも難しい話である。

 

 この人格とは一生付き合っていかなければいけないのだろう。それは変わろうとする努力不足などではなく、どうしようも固定されている部分だからである。もし引っこ抜けたとしたら、それは自分なのでしょうか。と同時に、いつかこの毒の根が抜けてくれないかな、とも思う。この性格を抱えていると、嫌な気持ちになることが多すぎる。どうやら主観に基づき形成される円の範囲や周縁でしか、思っていることは感じられないようである。これは全員そう。でなければ私は貴方の感覚に共感できるはずで、貴方は私のこの文章に共鳴しているはずだから。だから、なるべく多くの感覚に共鳴できるよう、人並の感性を持った人間に育ちたかった。