ゆかりちゃんマンハウス

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脱糞考-2023/07/06日記

2023/07/06

 

 木曜。最近良い寝起き。朝食が入らない。コーヒーだけは、せめて飲む。でないと頭痛が起きるから。少しずつだが確実に減る、白蛇のナーガの香水。自分にかけると、途端に消える特別感。高身長美女にかけて、それを嗅ぎたい。お金を払うので。愛の上では無料で成立する男女の戯れ。お金の上での疑似遊戯ですら、本気になりそうで。恐怖が故に無縁。Just wild beat コミュニケーション障害。距離感バグだけ、起こさぬように。それでも今日の、血はめぐる。

 

 

 今日書くべきことと言えば、1つしかない。電車でほんとうに脱糞しそうになったことである。「大人」をやめようかと思うぐらい、肛門の「瀬戸」まで、クソが漕ぎ出でていた気がする。時間にすればたった数十秒の話。汚物にまみれた物語を紡ぐには十分である。今日の便意はいつもと比べると160%の出力でもって、襲ってきた。親父が熱中するわけだ。

 

 すぐさまイヤホンで聴いていた音楽の音量を上げる。意識を肛門以外に分散しなければという、些細な抵抗。黒夢の「ピストル」がすごい大音量で流れている。壊れ、壊れてゆくのは私のアナルである。おかげで下車までの、またの名を命運を分ける数十秒を生き延びることができた。ここでもし黒夢の「カマキリ」がプレイリストから流れていたら、人時のベースの音圧でアナルが揺さぶられ、決壊していたに違いない。私たちは、偶然のもとに生きている。

 

 駅のトイレは空いていた。幸運にも、大きな駅だったから、助かった。出勤には少し早朝の時間帯だったことも加味された幸運である。

 

 トイレが空いてなかったときのことなど、当時は考えていなかった。そんな余裕はない。戦場である。精神とアナル、内実共に限界に達しかけている。空いていたから助かったものの、ほんとうに大人から降格するところであった。脱糞留年生にならなくてよかった。

 

 想像してみる。もし電車で脱糞したとき、手を差し伸べてくれる人はいるだろうか?そんな人間でいられるだろうか?かなり難しい。車内にあるのは、利害を超えられない関係性。ビニール袋など、セクシー大臣が有料化したから誰も持っていないだろう。都会の偏見を好き放題に書いていいのは田舎の人間の特権。東京の電車は、ゲロとウンコを運んでいると耳にする(しない)。そういう環境なら、「またか」レベルで状況を受け入れられるだろう。そうでない場合。脱糞ポーカーフェイスをするべきなのか?脱糞してなお、清ました顔でやり過ごす。脱糞に気付いてなお、清ました顔で悪臭に耐える。ニオイでバレる。不自然な立ち方でバレる。公共の場でのやむにやまれぬ1度の脱糞が、その後の人生において理性のブレーキを破壊しかねないことも考慮すべきだ。私は大人だ、モラルと理性ある人間だと言い聞かせよう。その時は。背徳の門を叩く自己との対面を恐れず。

 

 「ない話」をするな。そういう性格。タダで時間を過ごすことが得意だから仕方ない。結論としては、【起床後1時間がすぎると便意に襲われるから逆算して、家でクソを済ませてから家を出よう】ということである。脱糞して許される年齢は、もう遠い過去なのだから。

 

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 最近気づいたけれど、どうしようも消化できなかったことがあるので書かせてください。止めても無駄です。書きますから。

キル・ビル

 

たまごの寿司