ゆかりちゃんマンハウス

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自己分析と自虐の距離、ホラー-2023/07/05日記

2023/07/05
 
 水曜。一週間の折り返し。山折りならば下り坂、谷折りならば上り坂。あくまで机の上の話。エアコンで相対的に増幅する暑さ。肌の露出。エロの季節。性的な眼差し、表返しの特別視。
 
 
 マスクを外す機会の増加。なにせ暑すぎる。よく去年まで、外さずにいれたなという驚愕。正直な話、マスク社会は自分にとってメリットの面が強かった。顔面の70%を、合法的に隠すことができるから。それも過去の話。今やマスクは外さないと「変化に適応できない情けない奴」のレッテルになりつつあるというのは言い過ぎか。
 
 顔面に自信がない。自分のことというのは、周囲の認識以上に気になる。当たり前のことかもしれない。自意識の度合いの問題。私の場合、色白だから髭が目立つ。色白だからというのは自慢ではなく、会う人のほとんどに虚弱体質だと勘違いされるからコンプレックスである。自分が好きで自分が嫌いである。ハード面の問題。見られたくない顔面。ありがたいマスク。
 
 今年は事情が違う。暑いから着けていられない。電車や建物の中ではまだ着けるけども。それすら、顔を見られたくないからだろう。今まで外でも中でも必ずマスクを着けていたのだが。不快感が、怒りが、恐怖を凌駕した。
 
 今まで隠すことができていた口元の様子が気になって仕方がない。マスクの中で口を膨らますという癖ができたせいで、無意識にそれをしていないかが気になって仕方がない。無意識にニヤついてたりしたらどうするんだ。無意識に、ベロが出てたらどうするんだ。新たなる恐怖。
 
 イヤホンをつける前に、マスクをつける必要。ワイヤレスではなく、ワイヤードだから。ワイヤレスにしたほうがいいのは頭では理解しているが、「陽」で社交的な人間が持つのを許されているアイテムだという偏見が納得を邪魔する。邪魔なコードの煩わしさと決別した世界は、どうですか。「ワイヤード」にこだわるのは、心の底では「繋がり」を愛しているからかもしれない。こんなことを文字にしている。自己愛がすぎると同時に、自己嫌悪を抱く。矛盾である。詭弁と捉えるべき。
 
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 夜に、大学入学時の同期が連絡してきた。彼は昨年きちんと卒業しているから、社会人1年目である。彼は、私がほとんど交友関係を築けなかった中で、かなり根気強くコンタクトを取ってくれる稀有な人間だった。だから今になっても、連絡をしてくれるのだろう。本当にありがたい人である。
 
 食事と会話の誘いである。返信は保留している。後ろめたいから?それは努力不足で勝手に留年している自分が抱いている劣等感のせいか、人並みに交友関係が広い彼に抱く嫉妬のせいか。どちらも少しづつ。本当は、遊びの誘いは誰であれスタート地点が「ダルい」であるから。行ったら楽しいのはめちゃくちゃ知ってる。準備がさ、心の。めんどくさい人間であるという自覚。LINE通知への多大なる忌避感。
 
 そもそも今お金がない。それを伝えて、低い姿勢で返信しようか。もしかしたらタダでご飯を食べられるかもしれない。それでも話したいと引き下がってくれたら、そこからまた考える。
 
 人間をナメすぎているという自覚。自尊心が傷つくのであまり自分ではここまで言いたくないが、自分の扱いの難しさを、他人の配慮不足に転嫁して、そいで「誰もわかってくれない」と嘆いている奴である。完全に。言ってないことを理解できるのはニュータイプである。そんな人間は存在しない。すべて蓄積と経験に基づく気遣い。都合のいい偶像。コミュニケーションにおいても努力不足。
 
 怪我したくなさが、順当な精神の成長を阻害する。はやく人間になりたいというより、はやく人間に溶け込めるようになりたい。溶解人間