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自意識過剰、あるいは想像力、あるいは・・・2023/06/25日記

2023/06/25

 日曜日。日記というよりは、雑記である。

 

 

 自意識過剰であることを、最近になって自覚し始めている。具体的に言うと、世間一般では私のような奴のことを「自意識過剰」というのか、ということを22年目にして知った。

 

 どうやら、マインドセットの「0」であるべき位置を「−3」ぐらいにいじった、私のOSの初期設定でいたずらをしたプログラマーがいるらしい。でも別に犯人捜しがしたい訳ではない。

 

 この現象が、周囲の理解を得なさ過ぎて困っている。この世に、世間に面を食らっているだけ。まったく辟易しちゃうね、あたかも「普通」をこなせる奴の想像力のなさっていうのには。

 

 その点、自意識過剰だというのは自己分析の結果、つまり他者評価に近い。だから最近まで自覚しなかった。それより、「想像力が凄まじい」と言って欲しい。どっちにしろ指すものは同じであるが、聞こえはいい。

 

 誤解がないように言っておくと、決して「普通じゃない自慢」がしたい訳ではない。ちょっとはあるかもしれないけども、困っているのだ。カッコつけてる痛いファッション変人と一緒にしないで欲しい。なぜこんなことを気にしちゃうんだ、そう思うことのほうが圧倒的に多いから、こうしてここに書いている。そして、改善策を聞きたい訳ではない。「誰もお前のこと見てもないし気にしてもないよ」。大前提、そのマインドセットが俺のOSには無いから。聞いても意味がない。ただ聞いてほしいだけ。

 

 既にめんどくさいムーブをしている。自分でもそう思う。本当に嫌で仕方がない訳でもない。でも、損はしている。そう思う。

 

 

 【マクドで「ケチャップをつけてください」と言えない】ということを前の日記で書いた。

ratori-b.hatenablog.com

今回は他の例を挙げてみる。

 

 「一人で自販機でジュースを買えない」。これなら共感を得られるかもしれない。

 

 喉が渇いていても、通行人が気になって自販機の前で立ち止まれない。あるあるですよね。

そもそも自販機のデザインが、派手で嫌だ。チェリオの自販機の前で立ってたら「あいつ貧乏くせぇな」と思われそうで怖い。サントリーの自販機(青いやつ)は、横に「BOSS」のロゴが入っていてかなり照れる。なら伊藤園の自販機なら大丈夫かと聞かれると、ジジ臭くて近づきたくはない。

 

 硬貨を財布からつまみ出す。ここで失敗するのを見られるかもしれないのが、怖い。

 

 コーラのボタンを押すのを、何て思われてるのかが怖い。かといって、アクエリアスを押すのはさすがにダサすぎる。 

 

 自分が何を買うのか、通行人が固唾を呑んで見守っている訳がないのは知っている。知っている、理解しているというだけ。納得をしていない。

 

 決して自販機を使ってる奴や、アクエリアスを押す奴をバカに思ってる訳ではない。いや、無意識の部分では、あるいは。

 

 アクエリアスを押していいのはガキとジジイだけと、自分の中で相場が決まっているから、ダサい(より厳密にいうと、年不相応)という認識になる。のだろう。

 

 今でも覚えているのが、高校時代に、友達と自販機でジュースを買ったときのことである。(友達がいるときは平気なのな、)担任の先生と「ゆかりくんってコーラ飲むのや、あいや、コーヒーとか飲んでるイメージがあったからさ、」という会話をしたこと。私がコーラを飲むという以外さに対しての何気ない言葉なのは重々承知、いや、理解している。コーヒーを押していれば、先生の想像の範疇を超えることはなかった。そのとき、その会話をすごく気にした、ただ気にしたというだけのことを、よく記憶している。

 

 ここまでで、「怖い」という表現を多用している。この怖い、つまり恐怖の性質とはなんなのだろうか。自分なりに自分のことを考えてみて、それはかなり高い確率で「恥」であると思う。恥をかくのが、怖いのである。「自販機でコーラを押し、飲む」という自分のパーソナリティを知られるのが、恥ずかしい。そういうことなのかもしれない。いや、たぶんそうだ。マクドで「ケチャップ」や「スプライト」と言えないのも、破裂音を出すのが恥ずかしいから。根っこの部分で、「恥」の感覚がある。そういうことなのだろう。

 

 

 ではなぜ、自分を知られるのが恥ずかしくて怖いのだろうか。

 

 もしかすると、自信がないのかもしれない。自分の選んだものに。ツッコまれたり、それが注目を浴びて話題にされるのが恥ずかしくて、怖いのかもしれない。いや、怖い。自分を、自分の味方じゃないかもしれない人間に知られるのが、とても怖い。敵に弱点を教えているのと同義なのだから。

 

 偽りなく好きなもの、自分の核に近いコンテンツほど、他人に、安易には触れられたくないという気持ちなら、これを読んで頭をかしげることができる「普通の人」にも理解できるんじゃないか。

 

 それが、一挙手一投足すべてに現れるのが私のOSなのかもしれない、という話。

 

 あぁ、多分そういうことだ。だから「自意識過剰」っていうのか。自分の行動や好き嫌いを大小等しく、パーソナリティだと認識しているから気になるのか。

 

 でも、自分が歯牙にもかけられないのはそれはそれで、悲しい。「ほっといてくれよ」って思うと同時に、「ほんとにほっとくやつがいるかよ!?」と、思っている。常に。

 

 

 あと、コンビニで買い物をするときにジュースだけを買えない。これもあるあるですよね。レジの人に「自販機使えよ」と思われそうで怖いから。だから、お腹は全く空いてないのに、パンとジュースを合わせてレジに持っていく。要は「これから軽い食事をする奴」を自分で演出しなければ、コンビニでジュースを買えない。お金を無駄に使っているわけだから、明らかにこれは「損をしている」。

 

 ここまで言って、「想像力」といえるのか。世間的には、「被害妄想の妄想」という翻訳をつけたほうが、うまくいきそうである。そういうことが分かった。