ゆかりちゃんマンハウス

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啓蒙喫茶コメダバトル

 結論から言う。コメダで作業をすると捗る─────ネット上で一度は目にするこの文章も、私にとってはただの幻想にすぎなかった。

 

 人生で3度目のコメダに入ったのは昼の2時過ぎだった。この店に入るのは2度目、店員に顔を覚えられるのは避けたい。あと何回この場所で、誰にも覚えられずに暖色に包まれた昼下がりを過ごせるだろうかと、逆仮面ライダーゼロノスみたいなことを考えながら入り口の前に到着する。待ち時間あるかな~あったらお名前の欄に「氷室」とか書いちゃおうかな~とか考えていたら即座に席に案内された。「氷室」という苗字は強い。パワーを秘めすぎており、選ばれしものだけがその力を操れる。生半可な覚悟では、使った瞬間に肉体は塵と化すだろう。そんな名前を使いこなす代表格が「氷室京介」。だが、氷室京介の本名は「寺西修」である。これを初めて知った瞬間のことは鮮明に記憶している。爆笑したから。真実とは、時に猛毒なのか?いや、「寺西修」が「氷室京介」を完全に乗りこなしているこの真実にこそ価値を見出そう。私たちが目にする氷室京介は一瞬たりとも寺西修である素振りを見せない。仮に私が同じ立場だったらどうだ?「氷室京介」という強大な力を持った鎧を持ち上げることすら叶わないだろう。もしかしたら直視することすら。いったん鎧を纏った寺西修はその瞬間から、「今から俺が氷室京介だ。」と覚悟し、戦い続けているのだろう。そうするうちに鎧は肉体と一体化し、完全に「寺西修」であった過去を塗り替える。この「落差」と「徹底ぶり」に美学を感じる。

 

 どこのコメダも同じかは知らないが、通された席は一対一で向かい合わせに座る席が2セットになったものが「一区画」になっていた。隣にはいかつそうな話題を話す兄ちゃん二人組。イヤすぎる。席は違うが、区画としては同じ場所だ。早い話、ほぼ相席みたいな距離である。とはいえ後から入ってきたのは私の方で、向こうからしたらお一人様クソメガネがやってきたと思っているはずである。幸いなことに、彼らは私が座る頃には出ようとしていた様子で、首の皮一枚で精神世界の平和は保たれた。

 

 メニューを見る。アイスコーヒーを頼むことは心で決めていた一方、食べ物を決めあぐねる。いつもならポテサラサンド一択なのだが、前回頼んだ際に味わった屈辱が脳をよぎる。貧乳キャラの乳を盛る絵師の如く烈火の勢いでパンからはみ出るポテトサラダ。食べ進めるごとにボロボロと、無情にも零れ落ちていく。こんな醜態を見られていると思うとますます身体が言うことを聞かない。上手くやれよ。そもそも「ポテサラ」という単語を、自ら空気を振動させ伝えることに気恥ずかしさすら感じだす仕舞だ。このメンタルでポテサラサンドと対峙するのは絶対に避けるべきだ。完全な攻略法を見出すその日まで、ポテサラサンドは見送ろう。今日は安牌をとろう。決めた。「アイスコーヒーとミックスサンドお願いします。」今日は雑魚狩りだ。めいっぱい気持ちよくなってやろう。

 

 注文待ちの最中、私の区画に4人組が通された。会話と年齢から察するに、恐らく夫婦とその母とその母。普通でいう三世代家族の一段階上のハイレベル三世代家族だろう。いきなり旦那であろう人がタバコを吸いに外に出る。うわ。その上、この家族めっちゃ話す。うわ。いきなり自分の家に上がり込まれたらこんな気分なのだろう。今の今まで私が支配していた空間は一挙に逆転し、こちらが悪になる。会話こそが空間を支配するのか。あんまりじゃないか。今の私には話す相手がいないから形成は絶対に覆らない。今までの大学生活で、一緒に食事をするくらい心を許せる人間を作らなかった自分が悪いのか。いや違う。そう思わなければいけない。私にとって「食事」というのは、極めてパーソナルな行為であるから。多くの場合、食事から関係は構築されるだろう。そういう場が大嫌いなのだ。例えば「これから仲良くなるかもしれない」レベルの人間の眼前で、料理を口に運ぶ際「一口サイズ」の算段が外れ、フガフガと噛み切れもせず、あくせくする可能性があることが耐えられないのである。私がゲームのボスなら、食事中=チャンスタイムなのだ。信用を置くに至らない人間にこちらの弱点を曝け出す訳にはいかない。そんなことはアホのすることだ。料理を前にして、ひたすらヘマをしないように細心の注意を払っていては味も分かったもんじゃない。この点、料理の味というものは素材と料理人だけでなく、誰と・どんな状況で食べるかでも決まるのだろう。

 

 嘆いていても仕方がない。こうなった以上は、挙動不審ムーブだけはかまさないようにしなければ。こんなときのために、大学で印刷だけして読んでない、クッシャクシャの資料はあるのだろう。不思議と今は読みたくてたまらない。手提げから取り出し、印刷枚数を減らすため死ぬほど小さくしたサイズの文字を目で追う。追うだけでひとつも頭に入ってはこない。今の私は「できる大学生」の鎧を纏っている。ハッタリだ。でも真実は自分の中にのみ存在する。せめてコーヒーが来るまでは徹するんだ。私は氷室なのだから。

 

 そうこうしている間に「アイスコーヒーとミックスサンド」が来た。挙動不審ムーブへの対策アイテムが一気に二つも増えた瞬間である。しかも、今日はポテサラサンドではないから食事中にヘマをする心配はないだろう。

 

 

 

────────────え。

そういえば聞いたことがある。「コメダは普通サイズで十分」という伝説を。まさか一番人気と書いていたメニューですら上級者向けだったのか?こんなことなら推奨レベルをメニューに記載しておいてくれ。今の私にやれるのか。一人の私に。フガフガしたとき笑い飛ばしてくれる友達は今日はいない。そもそも年に数えるぐらいしか時間を取って会わないから基本いない。

 

 瞬間、「ポテサラ最大の攻略ポイントはクソみたいにゴロゴロしたジャガイモ」であったことを思い出す。今目の前にいるのはミックスサンド。たまごペーストとハム、キュウリ、レタスだ。全て一口で入る。勝機は見えた。

「お食事用のフォークです。」なめるなよ。そんなものは必要ない。

 

 

 

 

 

はずだった。

 あまりにぎっしり詰まったたまごの重みに、食パンは耐えられず決壊した。正確に言うと、計4切れのうち耳がついていない2切れで悲劇は起きた。運命の女神は慈悲もなく私をフガフガルート(通称Fルート)へ導き、恥をかかせる。まったくいたずら好きで困ったものだ。たまには神の悪戯に付き合うのも悪くない。などと思う虚勢とは裏腹に、皿に落ちたたっぷりのたまごを眺めながら敗北の事実を受け入れ始める。いらないと心で豪語していたフォークは必要になり、完璧に心は折られた。いま、ここで起きた惨劇を隣のハイクラス三世代家族は見ているのだろうか。疑念、羞恥、戦慄。そんな感情が一挙に押し寄せてくる。その隣の区画からは定期的に赤子の鳴き声がしている。泣きたいのはこっちもだ。しかし、感情の機微で癇癪を起こしてしまうような奴と一緒にしないで欲しい。こっちだってこのくらい我慢できる。

 

 戦い方が悪かったのか?確かに私はたまごを下にして、慎重に口に入れたはずだ。いや、それより以前、持ち上げた時点で勝負は終わっていたのだろう。しかも、たまごを下にするということは必然的にレタスが上にくる。そうするとパン上部とレタスのクソハッピーセットが口の中の上の部分に引っ付きやがる。これも敗因の一つだ。たまごは上が正解だったのか?産み落とされるのに?まだ飛べない状態なのに上にやるのか?いやレタスも地に根を張り、足を付けているか。こんなことならチキンが挟まれているやつを選べばよかった。

 

 これではまるで童話に出てくる、欲張りなために痛い目を見るキャラだ。「欲張ってたっぷりと具を入れると崩壊する。」ここ、コメダ珈琲は極めて教訓的な場所だったのだ。たっぷりの具やボリュームたっぷりのメニューは、必要悪だったのだ。それでもって我々に教えてくれていたのだ。名前を「啓蒙喫茶コメダ」に改めるのもひとつ。

 

 

 

 戦いの傷はやがて消え、このままでは帰れない私は新たな敵を見出す。「クリームオーレ」、ソフトクリームの乗ったコーヒーである。コーヒー系の飲み物は注文の際、加糖or無糖を聞いてくれる。いつもだいたい加糖にする。さっきのアイスコーヒーも加糖にした。なのに、今回聞かれたとき私は「無糖」と答えた。なぜ?自分でも分からない。苦いのもイケる口だぜというお子ちゃまではないアピか?アイスクリームが乗ってる時点でお子ちゃまだろう。もしくは、「アイス=甘い」だから「コーヒー=苦い」にして均衡を保とうとする本能が働いたのか?わっかんない。

 

 


 向かいの人が映っちゃうから「白うんち」部分が見切れているが、眼前にこの景色があったときに確信した。どうやって食べるのが正解なんだ、と。クリームとコーヒーを混ぜるのか?別々で楽しむのか?未知数である。

 

 だがやってみせる。二度も負けはしない。したくない。とりあえずソフトクリームを上から食べる。あっまい。そういえば、小さい頃は「こぼす前に食べきれないから」という理由でソフトクリームを簡単には食べさせてもらえなかった。だから今もソフトクリームには憧れがある。今、私は夢を叶えているのかもしれない。そんなことを考えている間にもアイスは溶けていく。真っ先に攻めるべきは上ではなくコップのフチだった。気付いた時アイスは既に、頬を伝う淑女の涙のようにコップの表面に伝い始めている。涙は温かいけどこれアイスだから雪女の涙かも。ヤバイ。こっちもヤバイ。拠点防衛の任務は失敗したのか。

 

 「コーヒーを飲めばいいのでは?」

 

 瞬間、閃く。天才現る。急いでストローを刺すが、ソフトクリームを支えるための大量の氷に阻まれる。もうコースターは茶色に染まってしまった。それでも急いでコーヒーを吸い上げる。完全敗北だけは免れたが、もはや品行方正に努めようとしていた私は死に、挙動不審ムーブをかましながらあたふたする私が産声を上げている。

 

 いまここに新たな生命が誕生した。この喜ばしく、素晴らしい真実を皆で祝おう。

 

 会計を済ませ、店を出る。外は、せっかちな冬を告げるかのような、肌を刺す風が吹いていた。