ゆかりちゃんマンハウス

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夢はえっちで罪深く(閲覧注意)

雑記であり、極めて気持ち悪いです。閲覧注意。

 

 久しぶりに一日中記憶していた夢をみた。たまにある。大抵の夢は、直後こそ鮮明に記憶していて、覚えておこうと思っていても、その日4回目に行くションベンの頃にはもう思い出せなくなっている。脳内に断片や残骸が残っていたとしても、探そうするほどにぼやけ、形が失われていく。いま書いている間にも、記憶の輪郭は滲んでいっている。なんとか繋ぎとめようと努力こそしているが、ドロドロと溶けていく「完成品」に、応急処置として必死に粘土をくっつけていく感じはする。この先、時間が経てばいずれ全くの別物に入れ替わってしまうだろう。嫌なので、残す。

 

 夢の内容は、いま思い返しても心地よく、現実かと思えるものだった。最初の場面はマクドと思しきファストフード店、自分(であろう、視点がある人物)は誰かに気付かれないようにしている、そんな様子で座っていた。そこに制服を着た小柄な女性がやってくる。そして、いきなりほかの席が空いているにも関わらず、自分と同じテーブルに座ってくる。距離の詰め方や振る舞いから見て、どうやら知り合いらしい。そうでなければキチガイ女だ。この、脳内で状況を整理していく感じは夢でしか味わえないものだろう。この時点では、まだ繰り広げられている視点と「自分」が乖離しているということだったのだろうか。

 

 何と言ったかはよく覚えていないが、「やっぱりいるじゃ~ん」みたいなことを言いながら、慣れたように座ってくる。それに対して、自分は「年相応の人間と時間を過ごせ」といった説教臭いことを言うが彼女は意に介さない。年齢差があるようで、この時点で非常に気持ち悪い。七面倒くさい文章は書くのも読むのも嫌なので言うが、『制服女は年上である自分に気があり、それを自分は良く思っていない』のだ。こんなものを自分の脳がつくり出したと考えると反吐が出る。しかも無意識に。こんなにキショイものはない。でも、夢でこの映像を見たのは事実なのだ。

 

 具体的に何をしたかは分からないが、付きまとわれる日が続いた様子だった。その度に、彼女はやることなすことが常軌を逸しており、それでいて理解できて、自分と波長が合っている人間だということを思い知らされていく。恋人にするなら「高身長で年上のキチガイ行動をする女」と決めている一方で、彼女は身長もビジュアルも、理想の真逆をいっている。が、ひたすらに居心地が良い。ただ一つ理想と合致していることは、異常行動をするということだけだった。ひょっとしなくても、私にとってはそこが全てということなのかもしれない。

 

 また場面が変わって、いきなり自分が女装させられている。JKコスの。彼女の提案なのだろうが、されるがままに改造手術が行われていた。正直そこは全く問題ではない。女装子は射程内だからだ。人間は、自分の中にあるものしか自力では生み出せないということなのだろう。夢は性癖や願望に嘘をついてこない。夢なのに「リアル」を見せつけられている。そして画竜点睛か、最後の工程としてソックスを履けば完成という場面。彼女が用意したソックスはゴムがゆるゆるになっており、履けたものではなかった。今着せられている服はわざわざ出してきた冬服、彼女はカッターシャツ姿だ。お互い、彼女の所有物を身に纏っている。あと一手で完成するこの状況、一体どうするのかと思っていたら、座っていた彼女がおもむろに、履いているソックスを確かな手つきで脱ぎ始める。スロー演出がかかっている。お高い照明も焚かれている。夢は便利だ。それを渡すモーションをし、次にこれを履くように言われた。

 

 この一連の間に心臓が重く鼓動し、驚愕・興奮・神秘・期待そういった全てが綯い交ぜになった、えも言われぬ感情が渦巻く。

 

 やがて履いた。一体化している。直前まで履かれていた温度は嫌でも伝わってくる。嫌悪感など一切なく、むしろ喜びが泉を満たしていく。性的にも、いや、むしろ精神的にこそ感情がほとばしる。この瞬間、肉体的な繋がりなど必須ではないことを確信する。心で、イっちゃった。

 

 この場面が鮮明に記憶に残っているのだ。今までも、したこともないセックスの夢などは見たことはあるが、この思い出に比べればそんなのは価値の無いゴミだ。下劣で浅ましい。このあとどうにかなったのか?そんなことも心底どうでもいい。彼らには、そういったムードは必要ないから。むしろどうにかなるよりも「どうにか」なっていた。少なくとも私は。その場で脱いだ生パンツを履くよりも高尚なことをしている。生パンツだった場合、性的な充足感のみが残っただろう。しかし、今回は「お膳立て」の時点で精神的充足を与えてくれた。恋人未満的な、逃れられないがベストとも言い切れない関係を疑似体験させてくれた。経験と数えても差し支えないほどの没入感だった。極め付きは靴下シェア。性的かどうかギリギリの瀬戸際のシチュエーションにこそ、真のエロスは潜んでいたのだ。

 

 続きが見たいが、もう叶わないだろう。そんな芸当ができたためしがないから。鈴木雅之は「夢でもし逢えたら」と歌っていたが、夢でしか逢えない。だからやるせなくも、美しい。そんな気がする。もし次があったら、その時の私は、このもどかしい状況に終止符を打てるか。その勇気はあるだろうか。今朝はマジで起きたくなかった。