ゆかりちゃんマンハウス

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-限りなく「無」に近い「有」な日-2023/05/05日記

 毎日更新と謳っていた日記だったんだけども、先日までコロナにかかって書く気にもなりませんでした。1年前ならまだしも、制限緩和された今になって罹患してる「我」にただただ恥ずかしさしか感じることができない日々。新しいものに嫌悪感を抱き、ミーハーだと思われたくないがために周囲とn≧4周遅れでコンテンツに恐る恐る触れに行く「俺」だから、今になってコロナにかかったんだなと心で理解した。

 

 治ったは治ったんだけど、ノドに陰毛が絡まってるような違和感がずっとあって、相変わらず咳は出る。だからパイパンにしろとあれほど言っている。

 

 5月5日はこどもの日。親から見れば、立場上こどもは一生こどもなのに、それなりの年齢迎えると存在ごと消される日が今日「こどもの日」。父の日、母の日とかは消えないのにひどい話だと思わない?俺は決して甘えてるわけじゃないよ?「祝日」に対してのリスペクトに欠けるって話をしているわけで。ちゃんと祝ったほうがいい。等しく。各家庭が。それがあって初めて、「こどもの日さん」は、こどもの日であれると思うんだよね。もしくは、「すべての祝日を等しく祝わない」。こっちだね。

 

 この話は拡大されていくと、「他人の誕生日を祝う意味はあるのか」にも繋がる。出会う人たちが必ず持つ、ただの数字の羅列を記憶できっこない。もし、友達や先輩後輩の誕生日を覚えてる奴がいたらそいつぁ稀代のサイコ野郎だ。絶対に誕生日の早い順に殺害計画を立ててるに違いない。

 「あげたい」ならあげればいいと思う。実際、自分も毎年とはいかないにしろ、誕生日プレゼントあげたいなと思う人がいる時はあげる。そういう、ニュートラルなイベントであるべきだと思う。義務感が生じると急にダルくなるから。そういうのを何とも思わない人とだけ仲良くすれば、かなり省エネにハッピーだと思う。とはいえ、あげたら返して欲しい自分も、そばにいる。

 

 昔の自分は小便の黄色よりも鮮やかなアホウで、「僕は、この人にハマりたい...…!」(クソダサいアムロ)という人に対して、お返しはもらえるものだろうと勘違いしてプレゼントをあげていた。お返しなんてなかったぜ。「ハマりたい」と思っていた時点でそれは貢ぎ物だったことに気付いたのは、それから200年と8カ月が経ってからだった...…。

 

 日記なのにまだ、今日の話をしていないよね。今日は昼から出かけた。なんか連休を自宅療養に使っちゃった「元」をとらなきゃと思ったから出かけた。結論から言っちゃうと、「無」でした。納得の仕方次第では「有」にもできるんだけど、そのぐらい「無」に近い時間を過ごしました。こういうモチベで出かけること自体、間違っている。それを確かめるために今日はあった。京都駅いったの。一旦ね。人多すぎてしんどかった。あてもないのに来ちゃった上に、所持金3000円ぽっちだったから心にも余裕が無い。だってGW中はゆうちょ銀行ATMがお休みするって言ってたから、お金おろせねぇんだぜ。「労働者」の権利も理解できるが、流石にこれは「GW中に身代金を要求されちゃった人」の可能性を考えてなさすぎる。開いててほしかった。俺もさ、残高的に結局おろさないんだけど、開いててくれないと心に余裕がさ...…生まれないじゃん...…。

 

 メルペイってどこでつかえんだよマジで。この間売却した売り上げで、メルペイにも3000円あるのだが、使える場所が少なすぎる。本買おうとして恥かくところだった。これじゃ実質ないのとおんなじじゃん。

 

 横に3人並んで歩くなや。ベトナムのサッカー少年みたいな髪型の怖そうな日本人。真っ白コーデで子連れの襟足刈り上げfatママ。2010年みたいなチェック柄のスカートを履いた女とその横を歩く、キノコ人間。めちゃくちゃデカい西洋人。横断歩道を渡る人を見ながらごつ盛りを立ち食いしてる明らかに生活が過酷そうなおじさん。祝日なのにいるJK。ネットのイラストでしか見たことのないような完璧なオタクコーデをバチ決めしてる人。あ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~もう嫌。

 

 こうなると自分も含めて全てが嫌になってくる。なぜ連休にたった一人で目的もなく歩いているのか、なぜ自分はこんなビジュアルなのか、なぜ他の人は2人以上で歩いているのか、なぜ自分はこんなモノの見方をしてしまうのか、自分はいったい、誰にこんなに卑屈にさせられたのか。知ってる人がいたら教えてください。俺ってちゃんと生きてるのかな。実は幽霊で、みんなには見えてないんじゃないか?

 

 

 

 結局、シン・仮面ライダーを見た。2回目の。同じ映画を上映中に2度見に行くのは、生まれて初めてだ。1回目視聴時に抱いたモヤモヤと、製作裏側のドキュメンタリーを見て、自分の中でこの映画をどういう位置づけにするべきなのかを確かめるためにも、見なければとは前々から思っていた。...…普通2回以上見に行く映画ってさ、「めちゃ名作認定」してもう良すぎて良すぎて、我慢できずに見に行くんじゃないの?

 

 私は庵野秀明のファンではなく、仮面ライダー、特に初代仮面ライダーのファンであることを大前提として、2回見てきた結論を書き残しておこうと思う。「庵野秀明はアニメの人間であるなぁ」というのが最大の感想だった。

 

 1回目は戦闘シーン、要するに1号と2号のアクションが見れる!という期待で劇場へ足を運んだ。蓋を開けてみたら、CGの割合が多くてめちゃくちゃモヤモヤした。

 

 もうネタバレとかしちゃうけど、1号と2号が戦う場面が、9割のCGと申し訳レベルの実写カットで構成された空中戦なのだ。作中理論としては、空中戦だと・周囲に被害が及ばない・ジャンプ/落下時に風エネルギーを効率よく溜められる・etcと、さすが庵野秀明と言わんばかりの「説明」がされているので、「あぁなるほど」と思える。ただ、スーツに入った人間のアクションを見に来たつもりの自分は完全に裏切られた気持ちになった。

 

 他には、オリジナルにもあるバイクでのとんでも跳躍、サイクロンジャンプをジェット噴射で説明したところは驚いた。そこまでやる必要ある?と思うのは、オリジナルの「仮面ライダー」にある非科学的な描写を、ある種の「お約束」と、暗黙の了解としてしまっているからだろうか。この点は、「一般向け映画」としての立ち位置がある「シン・仮面ライダー」においては許されなかったのだろうなぁという理解をしている。まぁ単に「理由」を求める庵野秀明の癖なのかもしれないけども。映画製作の理論とかは全く知らないが、劇場作品が半世紀も前の30分番組の焼き直しでOKな訳がないことぐらいは分かる。仮面ライダーを知らない人にも見てもらわないとお金にならないから。「いやそれはありえんてwww」みたいなモノの見方をする人は思ってる以上にこの世に存在して、まぁ自分の親がそうなんですけど。そういう要素は「仮面ライダーの劇場作品」なら許されても「一般映画」では極力避けたかったのだろうと思ったり。

 

 中でも、「劇場視聴に耐えうるアクション」への迷いは、NHKのドキュメンタリーでもかなり垣間見えていた。

 

 アクション監督をチームに迎えておきながら、アイデアを「段取り的な動き」だと全否定して、庵野秀明とアクション監督、現場に流れる空気が最悪だったのが画面からも伝わってきたから。従来の仮面ライダー作品の撮影のアクションではダメなんだという確固たる意志があったんじゃないかなぁと思う。だってアクション監督の出す案のことごとくが却下されてたから。さすがに同情するし、庵野秀明も説明不足すぎる。

 

 主演の池松壮亮が、「生身・肉体感」というキーワードから庵野秀明の求めるアクション像を読み取ろうとしていたが、明らかな解決策は見いだせないまま撮影が進んでいった。んで、解決策をCGに求めた。そんな印象。これは仮面ライダー=生身のアクションという認識をしていた自分にとってはCGで見せられる戦闘にはかなり裏切られた気分だが、よく考えなくてもシンウルもシンゴジもCGだったわ...…。

 

 ショッカーライダー戦だけは未だにかなり受け入れられない。特にマシンガンで1号の頭部を撃ち続けるシーンの視聴ストレスがすごい。あそこめちゃくちゃ長く感じる。あと、サイクロン号の自爆のCGが2回も見たのにマジで何が起きてるのか分からなかったのが嫌だった。

 

 これが、最初の感想に繋がる理由。庵野秀明は特撮オタクであるけども、特撮よりもはるかにアニメの人間だったなという再確認の映画だった。CGに逃げないで欲しかったという感想以外は総じて良かったのも事実。

 

 あと、大事なことを書き忘れてたんだけど、「長澤まさみがエロい」。これが一番の評価点です。網タイツを履いた長澤まさみ演じるサソリオーグの脚を見るためだけに1500円を払う価値がある。そんな映画。長澤まさみもあんなキャラをよくOKしたなぁほんとに。