ゆかりちゃんマンハウス

ツイッターは @yukari_SGFJ

激痛⇔労り引き換え券(肺気胸になったときの話)前編

 雑記です。今年の7月に肺気胸という病気(っていっていいレベルなの?)になり、一週間入院したときの話。当時のツイートとともに思い出していく。

 

 7月18日、この日は確か祝日だった。昼前、部屋で寝ころびながらスマホをいじっていた。姿勢を変える。瞬間、左胸に違和感。始まりは突然などという歌があるが、予期しないことの場合、当たり前だがそれは本当なのだろう。肺の下部を抉られるような痛みがあり、それは呼吸をすると棘のように鋭く返事をしてきた。これはただ事ではないかもしれないと、一階に降りて家族に「胸が痛い、これは肺かも。」とだけ言う。この時点でうまく呼吸ができず、空気が漏れるように咳込んでいた。肺に穴が開いてるかもしれないことは痛みの「普通じゃなさ」から感じていたし、もしそうじゃなくても病院に行かなければ納得を得られないとも感じたから。

 

 この発言が良くなかった。父親がコロナを疑い始めたのだ。マスクをしろ、喋るな、部屋にいろ。言い方に角がありまくる。クソだ。このモラハラ気質が多少なりとも私にも受け継がれている自覚があるから尚のことムカッ腹が立つ。俺の肺には絶対に穴が開いている。それだけなのに。花京院の魂だって賭けてもいい。

 渋々部屋に戻って昼食のカレーを食べる。机のパソコンをどかすのもめんどくさいからキーボード部分に皿を乗っけようとしたが、やめた。

 

 

 昼の二時過ぎ。休日診療しかないが病院で検査を受けてこいと言われ、俺は勝手にコロナ患者扱いを受けていた。いわれなき罪を背負わされた悲しきモンスターと化した私は一人で地元のでかい病院へ行くことに。当然、診療など基本やっておらず、事前に電話をして向かう。駐車場から病院までは歩いて3分ぐらいの距離なのだが、今回ばかりは無限に感じられた。左肺は抉られ、息はゼエゼエになった。キツすぎる。加えて7月の日中高度に達した太陽は容赦なくスリップダメージを与えてくる。数歩歩いては呼吸を整えるため立ち止まる、そんなことをしながらなんとか受付にたどり着く。

 

 「電話をしていた○○です、肺が痛くて...」と言うのもキツイから。「もしかしたら穴が開いてるかもしれません」ともきちんと言った。向こうも休日出勤な上に、いきなり来た核廃棄物みたいな厄介者を抱えたくないのだろう、まともに取り合ってくれていない気さえしたがそれどころではなく私はしんどい。兎にも角にも体温が平熱でないと診れないから体温を測ってくれと言われ、体温計を渡される。熱を測る。何度だったでしょうか?ブッブー、正解は、呼吸もままならず炎天下を歩いてきたせいで38℃でした。さすがにヤバイ。重症者だと勘違いされると思った私は2回測り直した。受付の右上に備え付けられたテレビに映るクソローカル番組を苦し紛れに眺める。それでも数字は変わらない。観念した私は、受付へ体温計を持っていく。「え…あの...さすがに診察できないので。」帰された。あの時の粗大ゴミを見るような目が忘れられない。捨てるのに手間がかかってめんどくさい粗大ゴミ。門前払いだから駐車料金も返ってこない。病院を、医療を、日本を信じられなくなりそうだった。爆弾回ししてんの?俺の肺には絶対に穴が開いている。それだけなのに。助けてくれよ

 

 コロナではないという証明も、ましてや肺に穴が開いているという証明も得られなかった瀕死ドライブから帰宅し、明日の早朝にもう一度病院へ行くことにしてその日は家族と一言も言葉を交わさず、自室で残りの時間を終えた。過度な「かもしれない運転」の被害者だ。

 夜。根拠がない隔離に対してのムカつきを、寝てやり過ごそうと横になる。横になった方が痛いやないかい。仕方なく逆を向く。胸からポコッ。ポコッ。と音が鳴っている。完全に空気がどうにかなっている音だ。『肺気胸 ポコポコ』と、巡り合わないであろう単語の組み合わせの検索候補からも自分の肺には穴が開いていて、今も空気が漏れているのだという確信を強める。普段は仰向けで寝ないから寝れた心地がしない。

 

 

後編に続く